その夫婦関係は対等か? 「共依存」って簡単にハマるというはなし

こんにちは。

ご無沙汰です。

そしてやっぱり重めテーマなゆうこりん(XL)。です。

 

わたくし42歳

老化現象なのかもともとなのか、特に疲れていたりしない限り起きる(目がさめる)のがかなりはやめです。だいたい6時とか、たまに5時台とか。

 

そうするとたいていデスク作業とか(事務系の仕事ではないですが、内的外的ともにpc作業を担っていることが多いこのごろ)

あとはなんか腑に落ちないことでモヤモヤとかしてたりすることを前日から持ち越してたりすることもあるのでそれの”吐き出し”をしたりとか。

なんとなく「家族が揃ってるとできないな」と感じてることをやってます。

 

あとネットニュースとかをiPhoneでチェックしたりとか。
どっちかっていうと↑これの時間が日頃だと多いですね。

で、ある朝何気な〜く見ていた吉本騒動(ちょい前結構な騒ぎになっていたアレ)のニュースからだだだっと関連ニュースをサーフィンしつついろいろ見ていたら…

見出しに

「卒婚」

って発見。

 

なぜか釘付けになってしまって東京経済のこの記事”離婚とは違う「卒婚」という新しい夫婦のありかた”

をさらっと目を通してみたんです。

 

そしたら。

その記事中のある質問に、思わぬ衝撃を受けてしまったのです。

 

■この質問、スッキリ答えられます?

おもわず買っちゃうレモン牛乳。

 

その衝撃を受けた質問とはこれ。

 

「抵抗なく一人で決められますか?」

  • 服装、髪型
  • 友人(人付き合い)
  • 整理整頓(持ち物)
  • 趣味
  • 仕事

 

たったこれだけの質問ですが。

だったのですが…

いざ、これに自分で自分に答えてみたら

純粋に「自分ひとりで決められること」がひとつもなかったということに気がついたっていう衝撃。。。

 

この、わたくし。

誰がどう見ても「なんでもひとりでできそうなオンナ」であり、実際に放っておけばたいていのことは本当にひとりでできます。

多分知り合いもいない知らない国に置いていかれても、いつのまにか現地で結婚とかして子供までつくって、、、とかいうタイプです。というか今までの人生そんな雰囲気。

それかさっさとなんとか自国に戻る手配とかを調べ出したり、誰かに助けを求めたりとかして勝手にやれちゃうかんじ。

 

それって「ひとりでなんでも」とはちょっと違うような気もするけれど、まあ度胸も勇気もそれなりに標準で数値高めのタイプっていうことが言いたいのです。

当然「言いたいこと」や「言いにくいけど言わなきゃいけないこと」とかも、はっきりきっぱり、しかもその場ででも言えるし。

だからあたりまえのように「わたしは自分のことを自分の判断で100%全部きめてる」と思ってました。

それがこんなシンプルな質問ひとつで実際は全然違ってたことに気がついてしまった…

結構なショックでした…。

当該記事本家の方の質問の意味合いは「ここに口出しが入るかどうか」っていう審査が目的だったので、記事内容とは少々方向性が違うとこでこの記事を活用してます。

 

■本当にそれは「対等」と言える?

いえます?

 

ちなみにこのはなし。

相手との”対等”とか”支配”とかを言及するわけじゃありません。

 

むしろ「支配なんてされてもないのに自分が自分を相手を使って制限してる」という事実に気づきましたっていう内観の視点の変動の記録です。

 

「抵抗なく一人で決められますか?」

・服装、髪型

あれ。。。そういえば人あらどう思われるか?がメインの関心ごとだ。。。

・友人(人付き合い)

↑これ、一番ひやっとしました(^^;; 結婚とかのずっとずっと以前からこのことに関して「自分が基準ではなかった」ことに気がついてしまったので。常に相手が優先。

・整理整頓(持ち物)

現状自分のお金は自分のすきなように使っている。部屋のレイアウトや家具のセレクト、リフォーム全てにおいて自分の好みはしっかり通す。 のでここはほぼほぼ自分100%。

・趣味

これは完全に「家族」にエネルギーを持っていってしまっていて、”趣味”自体について意識を向けるってことすら忘れてた…

・仕事

大問題だったこれ。かなり長いこと夫や子供を無意識すぎるところで優先していた。

これは実は夫も「自分ひとりで決めて」ないってとこにも視点が向いた。

“家族のため”という大義名分が最もプライオリティ高い位置にあって、それで何かちょっと言い争いみたいになったときに「俺だって!」「わたしだって!」みたいになったことがある。

つまり、そのことについて「相手の”せいで”自分が100%好きなことができてない!」と思い込んでしまっていた。

 

……

こんなかんじの再発見。

 

さいきんよく考えていたんです。

夫婦というかたちが日本と欧米でけっこう違うな〜と。いまさらながらなんですけどね。

文化度とか経済レベル的にはそんなに変わらないかんじなのに、そこだけなんか根本的にちがうなあ、と。

 

その感じたいちばんの違いって、

夫婦であってもお互いがお互いのキャリアをちゃんと(子供生んでも)キープしてて、なんなら子供ちっさくてもそれを強みにしっかりキャリアアップもしてる点。

もちろん、わたしの場合キャリア自体は続いてますし、結婚したことでじぶんの世界が拡がってキャリアの幅も想定外に拡がってるということもあります。

でもそれは最近になって実感できたことで。

 

無意識のうちに”親”とか”ウケが良さそうで正しそうな情報”とかに軸が行きがちでした

 

そっからはずれちゃいけない。

 

自分の願いを叶えるのではなくて、自分以外の規範や常識、基準にぴったり合わせること

それが目的にすり替わってしまっていた。

じぶんの感覚の声よりも、そっちが優先。

 

ああ。いろいろ「叶うはずない!」と信じていたようなうれしい願いが相変わらず叶い続ける日常に変わって喜んではいるのに

日々どこかモヤモヤすることが消えなかったのはこういうことだったのか、と妙に納得しました。

 

■知らないとはじまらない。ますます「本当に理想の人生」へ

Photo by Michael Fenton on Unsplash

 

以前に「人間は標準がネガティブ思考。アタマの声を「聞く」ことで起きる本当の効果」といった主旨の記事をかいたことあります。

今回ひょんなことでたまたま出会った小さな、しかも主旨のちょっと違う質問によって呼び起こされた自分の中の小さなカンチガイたち。

これを見直さなければまたまた表面的な「変化に見えること」にすがろうとしていたかも。。。コワ…!と焦りました…

 

けれど。

この流れでもっと大きなことを発見。。。

 

わたしの記憶してる最新の「望み(理想の夫婦像)」って

おしどり夫婦で〇〇さんとか〇〇(芸能人とかセレブとかwww)みたいなかんじの”理想(っぽいぞ!と感じた)の関係がイイ♡

だったwwwww!!!!!

…これじゃ確かに”表面的”が叶いますですわ…

完全に基準が根っこから自分のものじゃない…

 

しあわせになりたいしそれに向かって努力もしてるはずなのに、どうしてならない?っていうマサに典型でした…。

 

ちゃんと自分の”違和感”を拾っていかなくっちゃ自分の本当の「しあわせ」には近づかない。

でも一見なんの害も、自分の理想との距離もなさそうに思える。

 

だからこういう「願い」って「叶いにくいもの」に写るんでしょう。

なので、ちゃんとこの気づきの機会に書き換えましたよ〜〜!

 

今のわたしの理想は

それぞれが独立していて”かぞく”でも”男女”でも”仲間”でもある最高の絆と絶妙に均等なパワーバランスな関係である♡

ですね!

って今もそんなかんじではあるんだけど。

自分が納得いくような形はもう少しアレンジがマストなので今はコレ、かな。

 

今後のリアルレポートもぜひおたのしみにww

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