ヒマな時間て何してる?その習慣が創ってきたものを知って驚いた。

2019年にはいってはや半年以上の月日が経ちました。

今年のわたしはとっても時間にも心にも余裕があることに自分が驚いています。

わたし、と言えば

  • 心配性
  • 不安症
  • 貧乏性(wwww)
  • せっかち
  • あわてんぼう
  • 忘れん坊

 

というのが具体的な「わたし」の解剖の中身でして(笑)

 

例えば1日があるとすると”なにもしない”っていうのは

「まじ無理。」

っていうタイプでした。

 

何かにつけて未来に不安要素を見つけて(反応する、とも言う)心の中はそれを”避ける”、”ごまかす”、”見ないで済むようにする”方法をGoogle先生ばりにサーチしてましたね。

とりあえず「ヒマ」な時間恐怖症でした。マジです。

 

恐怖症なもんで、とりあえず「ヒマ」を感知した瞬間に何かやり出してたし、基本的に”仕事中毒”気味でもあったのでとにかくカラダ自体も忙しくしてたし、アタマなんかはもうこんがらがってて常に収集ついてないような状態。

 

こんなわたしが2019年に入ってからは「おひま」的な時間をすごく楽しんでいるな…っていうことには、ちょっと前から気がついてはいたんですが

 

改めて元来のわたし(今に至るまでの過去の)を書き出してみたら、わたしってこの「ヒマ」の使い方によって大小いろいろなことを叶えてきたっぽいぞ…ということが見えてきたのです。

 

◾️「ヒマ」はほんとは「ひま」じゃない。

そうやって突然気がついて

そういや〜「暇」って感じの由来ってなんなんだっけ?

と調べてみたら、感じていたこととリンクしすぎててびっくり(笑)

 

制約のない茫洋とした時間、「暇」

 

学校を意味する英語の「スクール(School)」。

その語源はギリシャ語で「暇」を意味する「スコレー(schole)」だと言われています。

古代ギリシャの一般市民は、人を雇って基本的な労働を任せていました。

そして、そのおかげでできた暇な時間を、自由な思索や討論にあてるのです。

彼らにとって「暇」こそが、自分が自分であるために必要な考え方を確立する最も大切な時間。

古代ギリシャの人々は、ものごとの本質をとらえ、問題解決に生かそうとする学問としての哲学を、「暇」な時間から生みだしたのです。

【漢字トリビア】「暇」のなりたち より

まさに、わたしがこの引用を知らない時点で言わんとしたかったことが書いてあってたまげた〜…。

そうなのです。

実際に「ヒマ」を「ひま」として過ごせるようになった今、まさに感じていたのはこのこと。

暇=じっくりと物事を観察しながら考える時間

だったんです。

 

じゃあ、どうしてこんな有意義で、創造的でもっとも自分にとって有益な時間なのにその通りに使えなかったのか。

一体そのときに何をしていたのか、振り返ってみました。

 

◾️時間が空いたら不安に襲われる、と思ってた

Photo by iamSherise on Unsplash

こうなるまでの生活の中で「暇」な時間って

  • 「空き時間」と推測がついた時点ですでに用事を入れる
  • 偶然の「空き時間」ができたらできたでスキマでできそうなことを詰め込む

 

っていうのが常だったので、そもそも「ヒマ」っていう時間に何してたかっていうよりかは

✔常に何かに追い立てられている感覚

✔常に何かを「こなさなくちゃいけない」感覚

✔時間を無駄にしてはいけない(罪悪感)

という強迫観念じみたものに勝手に”追い立てられて”、その感覚から逃れるための行動を必死で探してこなしていました。

 

そしてね。
もっと大きなことに気がついたんですが

わたし、この「ヒマ」時間になっていろんな情報が自分に入ってくることにもものすごい恐怖感を感じていたんです。

例えば

誰かの成功

誰かの高収入

誰かの権威

誰かの成果

誰かのシアワセ。

Photo by Markus Spiske temporausch.com from Pexels

 

何がいやって時間や心に余裕ができたら、この情報に出会って自分と対比してみぞおちが締め付けられる感覚に襲われるのがほんとにこわかった。

だから何をしてもしなくても、それから必死に逃げていた。

それがちょっと前までの過去のわたしの「ヒマな時間にしてたこと」でした。

 

◾️どうして心穏やかに「ヒマ」を楽しめるようになったのか

江ノ島の渡し船。

 

わざわざこれを文章にして書いているのは、冒頭の引用にもあったように

その時間をどう過ごすかが人生の豊かさを決めるとても大切なことなのに、多分「ヒマ」という時間に対してすごく多くの人が「罪悪感」を伴っていることを知っているから。

特に昭和後半世代のアラフォー女性ならなおさら。

「ヒマ」を豊かに優雅に哲学して過ごしてるなんて、言ったらトモダチカーストから弾かれる。

そんな感覚根っこにあることも日本人女性ならきっと感じてるし、実際そうしててる人はちゃんと言わないでそこに触れないでいる。

もしくはもっと高尚な行動に見えるように脚色されて伝えられてたりする。

だからひとつくらいこんなふうにブログ記事になってて、誰かが「おひま」の使い方のマスターみたいになって人生開けちゃったらこんなキラキラビックリマン(平成世代しらんてww)なことないじゃん?って思ったから書いてます。

 

過去までのわたしの価値観って自分に何か足さなくてはいけないし、「誰かみたいに」ならなくちゃ価値がないっていう前提でした。

だからひまな時間に見えてしまうわたしの「現在」「事実」と、たどり着かない「誰か」や「しあわせ」との埋められない溝みたいなものをどうにかしてごまかしたくて、見たくなくてってやってたけど、、、

まてよ?

見たくないって、自分の今を認めていないのはほかでもない自分じゃないか!

誰かって他人やないか!自分が他人になれるはずもないのに!自分を全否定してるのは自分じゃんか!!

埋められない溝って…。ハナから自分がそのステージには絶対に立てないと決めつけているのは?自分やないか!!!!

ってそこをはっきり自分で目を向けてちゃんと見れたことが、「おひま」を楽しんでるのに全てが自分史上最高の豊かさを更新中という今を過ごせるようになったはじまり。

 

ちなみに…

豊かなヒマ時間をたのしむ自分になる♡

とかいう願いをたてたわけじゃないです(笑)ここ何気にすごい重要です。

人生変える!とか大きな目標を成し遂げる!!!って願望持つと人はどうやら、

それはとっても大変な道のりで、ラクとかいってもなんかきっと難しくて苦労することとかあるんだ(はず!)

って身構えちゃうのかな。

なんだか「やってる感がムンムン」で「達成感も半端ない!」みたいな感覚を伴うことだけがそれに当たる、みたいな脳内イメージが結構な人口割合で蔓延してる気がします。

うちの親(特に母)も完全にそれ持ってたな〜。

世代が若くてもそういう感覚って受け継がれちゃってるようなかんじも受けます。

 

だからかさねて言いたい。

単純にそういう時間(ヒマを豊かに創造的に)を過ごせない自分、過ごせてない自分がどうしてそっちを選んでるかの理由を明らかにした(自分で見るようにした)からそれができるようになりましたっていうことを。

 

願いを叶えようとがんばったわけではなくて、
今まで全力で叶えてきた「願い=当時の”今”」を疑ったから前例とは違う今があるということを。

 

過去を振り返るっていうのは最近はもう「過去にかましたギャグを懐古する」っていう趣向になってたんだけど…これもやっぱギャグでしたね…

人生を変えたい、でもなんかいろいろ試しててもパッとしないなら…。

ぜひヒマな時間の使い方とそうしてる自分を見直してみてはいかがでしょうか♡

 

そういえば名実ともに「豊か」なひとってみんなヒマそうだったな〜。

 

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