パターン化している「問題」は”パターン”認識自分が「現実」にしてた、という話

晴れた日。あたたかい日。
人間はどうしてもそんな日に「快」を覚えて、そうでない雨やどよんとした曇りの日なんかを「悪しき」と捉えてしまうものですね~。

 

書いてる本人であるわたしもふつーの人類ですので環境に感情が左右されないわけはなく。

多くの人が感じるのと同じように「感じ」てはいます。

 

ただ。
「快」を覚えてみたり「悪しき」と”感じ”てみたりはするけれど、「感じてみた自分」そのものを観察するというかんじで。

それが他の何とも結びつかないので、逆に言うと「なんとなく縁起がわるい日」みたいなのがそういえばなくなりました。

 

表題もそれと関係する話。

 

◾️離婚さわぎの危機のとき、夫の態度には「パターン」があった

パターンてなに?www

 

つい最近夫がひさしぶりに、カッチーン!とくるような行動をとりましてw

ちょっとだけくわしく解説すると、明らかにわたしが困ってる様子を目の前にしてそれを無視、したんですね。

 

いつもならちゃんと気にかけて手を差し伸べてくれるところを。

この「いつもなら」っていうのが曲者で。

 

案の定わたしの胸の内はグラグラグラグラと音をたてて煮えたぎり、シカトされた怒りに燃え、いつもと違う態度に「心変わりや無関心の表れにちがいない!!!」というネガティブな未来展開のビジョンがちらつき、わたしの心中はもうグワングワンになっていました。

 

黙ってても怒ってるのとか異変には気づくもの。

でも特に会話もなく急でもない用事のために早朝に出かけていき

ここでもう憤りは最高潮に。


これ恒例の離婚騒ぎにつながりそうな夫の行動パターンだったやつです(笑)

 

◾️今回は「パターン」自体を疑ってみた

結婚して今年で4年。

いろいろすれ違いを経験しつつ、その度にしっかりと話しあい。

 

その甲斐あってか、随分わたし好み、またはそれ以上にうれしい態度が定着してきたな、とは思っても、そこに行き着くまでにかなりエネルギー消費してました。

とはいえその後もちょいちょい大なり小なり「またか」ってことも起きたりしたんです。

でもそのたびに進化していっていることも増えていって、「こんなふうに時間かけて解決していくのかな?」なんて思ってた。

でもその波が過ぎるころにいつも、

この「問題」って他人が絡むしな~

100%自分の思い通りって無理なのかな~

人はコントロールできないしな

って、なんか一筋すっきりしきらないものが出てきて。

”諦める”っていうわけでもなくちょっと濁しつつも、そこ(出てきた感情)を「観察」して終わる、ってかんじがこれまでの常でした。

 

でも今回同じようにまた「問題」が起こって、いつものように淡々とそれを振り返ってたら

 

この場合「よりよい状態を望む」っていうより強く「絶対こんな想いを繰り返したくない!!」っていう過去を否定する気持ちの方が勝ってたってことが見えてきた。

だから一見「諦め(執着を解いてニュートラルに戻る意味の)」とか「理解」といったポジティブな態度にも見え、「観察」してるつもりでいたモヤモヤは

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この「問題」って他人が絡むしな~コントロールできないのはほんとは我慢できない(のに理解したフリ)

100%自分の思い通りって無理なのかな~それはモヤモヤほんとは思いっきりコントロール下に置きたい

人はコントロールできないしなほんとはコントロールしたくてしょうがない

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いつもコトのおしまいごろに出てきたこれらが、”=”以下の部分のように「執着」であるという認識の単にやり過ごしだったことにも気がつきました。


まあぽかんとしましたよね(汗)これに気づいたときには。
時間かかりました。

◾️結局「問題」を生成していたのはやっぱり自分だった

「問題」が発生してからの半日は「同じパターン」を認識して

相手がどうやったら自分の好みになるか、
どうやったら同じことを繰り返さずに済むか、相手が変わるという変化も含めて

これを叶えるためにどういう態度でいようかな!

ってものすごい怒ってたし、「なんとかしなきゃ!」って”対策”することばかり考えてたんですよね。
ギリギリと。

 

いつもと違う!
シカトされた!!!根底にある気持ちが変わったあらわれだ!!!!
わたしのこと大事じゃないんだ!!!!自分のことさえよければなのかよ!!!くそ~~~~!!!!軽く扱われてる!!!!許せない!!!!

大切に思ってるならこうするだろ!普通!
このパターンは絶対裏にこういう気持ちがある(に違いない)!!!!

って内心思いながら。

これも言ってみれば「パターン」。

 

それで所用が落ち着いたタイミングがきたところで、おさまりきらない感情を認識しながらノートに書きなぐってみよう、と思ってやってみた。

そうしたらスっと気持ちのグラグラが第三者目線ができて落ち着いて。

そして上記の

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いつもと違う!
シカトされた!!!根底にある気持ちが変わったあらわれだ!!!!
わたしのこと大事じゃないんだ!!!!自分のことさえよければなのかよ!!!くそ~~~~!!!!軽く扱われてる!!!!許せない!!!!

大切に思ってるならこうするだろ!普通!
このパターンは絶対裏にこういう気持ちがある(に違いない)!!!!

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をあらためて”文字”や”文章”としての状態でふと眺めていたら。。。。

わたしはどうやら「自分が勝手に決めたパターン」があって、そっからズレた態度や行動、人の考えをものすごい猜疑心で捉えていたらしいという事実が浮かび上がりました(汗)

 

 

◾️本当のとことの「事実」は何だったのか


チビとふらり出かけた江ノ島デートで道端に咲いてたお花。春満開でした。

 

相手はとりあえず何も言ってないわけですから、どう思ってるかは本人しかわかりません。

第一、一緒に生活をしている中で、毎日毎日ステレオタイプな表面的にわかりやすい態度とか取るような人でも、”そもそもない”わけです。 (離婚さわぎを繰り返すたびに、どんどん変わってはきましたが。)

 

そこまで見えると「実は相手は怒ってた(私の態度に)ということも考えられるよね?」と、やっと視点を偏りから解放することができ。

まあ、怒ってたらそうなるのはわかるなあ、わたしも、となりました。

だからってあの態度はない!!怒りや恨みつらみを抱えたくなるところでもあるのだけど、それって結局は


その態度への解釈に対する囚われ(そのはずだ!それ以外ないはずだ!っていうジャッジ)そのものだし、
同時に、相手に過失を認めさせたい、というマウント欲だったり勝ち負け思考だったりする

 

そのことについてはもう視点はニュートラルになってるのでそういう感情に飲み込まれるってことはなく。


でも煮えそうになる感情はそこにあるので、それをながめているうちに

 

おまえ、どんだけ「ワンパターン」の世界しか認めてないんだよ????

どんだけ「ワンパターン」の落とし所にコントロールしたいんだよ????

 

と、自分がナサけなくなり

 

そこで「諦め」ましたよね。

こんなに激しく内心煮えまくるまでコントロールしたい欲が強い自分と、ワンパターン以外認めないでいた自分を。

 

というか、これまでの「パターン化してる相手の行動」とかってヒトゴトにしてた離婚騒ぎの「事実」がそれだった、というわけです。 

 

がっくし(笑)

 

◾️その後どうなったかというと…

一連の内面への「観察」によってできたこうした発見たち。

なんだか数日に渡ってそこに行き着いたように思えますけど、これノート書き出してからものの10分くらいの間の変化です

 

そういうしているうちにもう、煮えたぎっていたわたしの胸のうちはベタ凪の湖面のようにフラット状態にすっかり落ち着き。

 

ちょいため息気味にふ~~~んと思いつつ家で作業してたらふいに、妙に早い時間に夫が現れた(笑)

 

ノート書くまでは

連絡もしないでどこか遠めの場所に息子と出かけて、遅くなるまで帰らないでおこうかな(それでいない寂しさとかで「悪かった」とか態度を改めやすくなるかな、とかwww

それとも、

用事の電話ついでに「何か言ってないことない??」ってさりげなく話し合いに持ってこうか…

とかコソクなことを考えていた(笑)のはすっかりどっかへ飛んで。

 

「あれ~~?もう(仕事)終わり?」とフツーに話かけ、その後も特に感情が動転することもなくフツーの会話を続けている自分がいました。

そういう自分がいたし、夫の方もいつものように他愛なく受け答えしてました。

 

別に危機じゃなかった(笑)

 

かえってその日は逆に

ああ、大事に思ってくれてるなあ、
愛されてるなあ、と感じること態度や行動がたくさん見えました。

 

完全に離婚騒ぎパターンを繰り返してたことだったのに、根っこに気づけたらこうもすんなり違う経過と結果になるわけ???と唖然としましたよね(笑)

 

わたしが抱えてたのは

バカにされたくない!(バカにされる自分を恐れる不安)

軽く扱われたくない!!!(価値がないと思われる自分を認めたくない恐怖)

愛されてないと感じることは絶対にいや!!!(負けたくない!!!=勝ち負け、上下の世界)

 

という恐れ。

 

気づいてたはずなのに繰り返していたのは、表面的でステレオタイプな態度とか行動へ誘導して実際にそれを見て「安心」を得ようとして自分を丸め込んでたからだったんですね。

 

結婚も離婚も、するのはほんとに簡単。

 

だから「離婚」だって形だけなんだしいつだってすぐにしていい、と思っていたけれど、

一緒にいようが形式として別れようがどうあれ、そのことで

あのときこんなひどいこと言われた、ひどいことをされた
こういう態度を取られた

と「被害者」の立場にフォーカスすることにエネルギーを向けて「真実」から目をそらすことになるのなら、それはちゃんと自分の幸せに責任持ててないなあ、と思ってしまった。

必ずしもポジティブな、根本的な解決策ではないんだな、と。

いっつも「離婚して新しいよりより人生送れるもんね!(勝ってやる!)」って思ってたけど(笑)

 

わたしにとっては自分の内側からえられた新しい見解。

 

解決できない他人が絡む「問題」は本当は何かを隠すためなのかも。

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