運命の相手は誰にも現れる。問題はその先だったというはなし。

このアイキャッチ写真はうちじゃありません(笑)うちはめったに二人で写真撮らない(汗)

 

プロフィールにもちら、っと。
先日の記事にもちら(?)っと。

 

このブログについての記事にもうちが「交際0日婚夫婦」っていうのを書いてます。

そんなこと自分に起こることは絶対にない!と思っていたので、これはもうネタとしか自分でも思えないわけで(笑)

 

だから思いっきりネタにしてますwww

でもネタにするほどにまでなれたけど、結婚する前ってばほんとうに

 

ゆーこ(XL)

「パートナー」とか「家族」ってなに?ぶっちゃけわかんないんすけど…
うちの親のケースなんてサイアクだったし、あんなの結婚ならしたくない!
どうやったらしあわせになれるの…???

 

ってかなり結婚に対してはネガティブな思考でした。

 

自分の母親がまあ毒親と呼ばれるタイプの状態で。

母との関係から受けた心理的な圧迫の影響がかなり深刻にあったし。

※今では結婚もして物理的にもエネルギー的にもちゃんと一定の距離がありますし、心理学や脳科学などの学びを経て関係性は全く当時とは違うものに改善していますが。

それもあって、特に「安心できるあったかい家族」というものにものすごい憧れと欲求がありました。

ので

「運命の相手」=自分にぴったりで自分の人生に寄り添ってくれる男性または家族同然の縁の人
(ぶっちゃけ女性でも子供でもよかった)

と出会うことが、わたしの人生のもっとも大きな願望だったのです。

 

◾️運命のひと”たち”

わたしが今まで付き合ってきた男性は5人いました。

 

これはわたしが理想とは全く真逆だった彼と交際0日婚というのをして、
なんだかんだといろいろ乗り超えつつ4年目を仲良く絆を深めて迎えている、という現実を経験したからこそわかったことですが

 

振り返ってみれば、みんな運命のひとでした。

 

そのときそのときで「すき」の気持ちが盛り上がる時期があり、時間を経てそれが落ち着いてきてすれ違いもありながらコミュニケーションを重ねてよりよい二人でいる。

 

これは今の彼とも歴代の彼ともみんなやってきたことも感じてきたことも同じでした。

 

今の彼以外とは、もう会うこともないほど縁は遠のいているけれど、それでもわたしはみんなが運命のひとだと思えたのは、

そのときそのときで必要な気づきを手助けしてくれて、自分ひとりでは叶わない夢を拡大していってくれるひとだった、

という事実を冷静にしっかり思い出せたからです。

続かなかったのは、結局はわたしがどんな人生を生きたいのか決められなかったからだ、だということも。

逆に言うと今はそれはとてもシンプルに決まっていて、実際にどんな状況であれそれに集中している、というだけの違い。

 

だいたい終わる原因てのは

なにかしらを「愛されてない証拠」だと信じて彼の行動や言動を責めたり、

被害者である立場をガンとして譲らない。こじらせオンナな態度でフェイドアウト、か強制シャットダウン。

 

なんか傷ついた…悲劇のヒロイン…みたいな

やっぱり私には何か足りないのかな…ダメなんだ…的な

言ってみれば何も「事実」を見ずに感傷にふけって浸って、あげくにはそれを言い訳に自暴自棄になったりして。

自分も「事実」もな〜〜〜〜んにも見てなかった。

完全に起こる出来事や被害者意識に「翻弄」されてました。

 

◾️運命のひとという定義の出どころ

そんなんじゃ、誰とも、
もちろん今の彼ともやっぱり終わってたでしょうね(汗)

実際シャレでもなく終わりかけたことは何回もありますwww(義両親に報告するとこまでいった)

でもいつかの段階でようやく気づいたんです。

いつまで「相手のせい」にして責めることに燃えてるんだ??と。

 

もうほんと「なんでこんな男と結婚したんだ??」って悲しくなるようなことがたくさんあった時期を超えて、

いっろんな細かいことを分析したら…

出会いが特別とか組み合わせが特別ってわけじゃなくて、「運命の相手」っていうのは

自分が叶えたい運命に集中しているときにそばにいるご縁

っていう表現の方が正しいな、と思いました。

 

「運命の相手」という定義は、基本的には“誰かによって創られた”ステレオタイプな、”イメージ”です。
おとぎ話とかそういうところから静かに脳に座り込んでる。

でもそれは「今自分に怒ってる現実」でも「それだけが真実」でもない。

だけどイメージっていうのは案外根強く「概念」として植わって深く根付いたりしてるんです。

 

たくさんある中のひとつの価値観であり「理想像のひとつのカタチ」

なのに。

 

だから「こういうのが運命だ!=(だからこれは違う!)」とか「こうじゃなくちゃ愛されてないってことだ!」みたいになんか当の本人同士の問題じゃなくて価値観とか信念(しかも出どころすら覚えてもない)のぶつけ合いみたいになっちゃう。

 

「現実」の方でもし”運命の相手”というものをもし「定義」するんなら”相手”がどのこうのじゃなくって

自分が出会った縁を自分が寄せたい運命に入れる!

っていうう方が合ってましたね。

だって、いいかげんいろいろあったすえに、

「相手のせいにする、相手が原因で自分の世界がネガティブになってる」っていうのは自分のしあわせを他人に依存しているのを巧妙に隠す言い訳なんだって気づいて、

それをやめたとたんに相手も状況も激変したから。

 

おとぎ話もキラキラストーリーも、気をつけてないと意識の中では現実の「価値観」と混同しちゃうこともあるのです。

 

◾️「運命のひとたち」はすぐ近くにいる

ここまで見えてくると「運命の相手が来ない自分を悲しむ」なんてーのは時間のムダだし、ましてや「探す」っていうのはホントに見当ちがいな行動なんだな〜ってことがわかりましした。

 

結局今は思います。

 

家族ほどの縁、
今生きている時代以外にも一緒にいたんじゃないかという不思議な繋がりを感じる縁。

そういう縁にわたしは、現パートナー以外にもたくさんたくさん出会ってきたし、子供を持った今はもっと拡大したそういうご縁がいくつもあります。

だから

運命のひとは誰でも出会えないんじゃないかっていう悩みはそもそもそう悩んでることで何かをやらない、できないことへの言い訳にしていたってことにも気づいたし、

ましてや結婚していないから自分には何かが足りないと卑下したり自分を低く見てそこにエネルギー消耗してたなんてほんっとナンセンスなことだったなあ〜〜!!!と、昔の自分に思います(笑)

 

うちは交際0日なので、世間的にはそのタイトルだけ見るとちょっとだけ珍しい組に見えますが、実は結婚(事実婚含め)してるひとによくよく聞いてみると、あんまり珍しいことでもないんです。

 

会った途端なんか結婚するひとってかんじしたんだよね、という話は9割くらいの確率で聞けるかも。

結婚するかどうかが最大の論点であれば、運命の相手というのは決まったごく1人か数人の範囲かもしれません。

でも少なくともわたしは

 

ゆーこ(XL)
1回くらい嫁にいっときたいからチャンスだし結婚しよ!

 

っていう気持ちで”結婚という関係”に踏み出しました(笑)

 

条件とか正直気にはなってたけど、それを決めたときも、結婚という儀式一式がほとぼり冷めるまでも、ほとんど気にならなったです。

自分の意思というよりも、周りも出来事も何もかもが全部その流れに向かってだ〜〜〜〜〜!っと流れるようにそちらへ進んだから、というのもありますね。

 

運命のひと。
そのひとは運命の相手とは信じられない、か、意識すらしてないってパターン、多いですよ(笑)

大丈夫!
たぶん、そのひと、です(笑)

 

 

 

 

 

 

 

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